空手道MACの歴史 |
1978年 | ||
9月 | 渡辺代表と石島副代表は、当時は極真会館・都下埼玉支部・添野道場(現・士道館)に所属していました。
その後、直接の師である安田郁雄氏(現・テコンドー・安田会館)が独立し「円心塾」を発足したのに参加する。 |
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1980年 | ||
5月 | 東京デザイナー学院<Martial Arts Club>発足。円心塾・東京デザイナー学院支部として活動。
同時に高円寺支部も開設。 |
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1987年 | ||
11月 | 円心塾は現在のテコンドー道場へと方向転換の為、東京デザイナー学院支部は独立し、学校公認サークル<Martial
Arts Club>の愛称<MAC=マック>として活動する事となる。 当時の空手団体で英語カタカナの名称はほとんど無かった。 |
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1988年 | ||
6月 | 精龍会主催の「第1回闘龍擂台選手権大会(現・闘龍比賽)」に出場スーパーセーフ使用の顔面・投げありルールで渡辺代表が重量級を優勝する。 | |
9月 | 第7回正道会館全日本大会に初挑戦し、渡辺代表は玉城厚志選手(正道会館)に敗れる。 ここで、大阪のレベルの高さに衝撃し少ないメンバー(10名前後)で研究をする事となる。 | |
11月 | 第3回国際交流空手道大会に出場し、渡辺代表が極真北海道大会準優勝の選手を敗り優勝。石島副代表は軽量級ながら第3位入賞する。 |
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1989年 | ||
4月 | 第4回国際交流空手道大会に出場し、吉原悟(茨城支部長)がマイケルバターマイクの反則攻撃に耐え優勝。石島副代表が技能賞となる。 | |
10月 | 渡辺代表は、中村頼永氏(現・IMUA代表、USA修斗代表)の2度目の渡米に同行する。中村氏は東京デザイナー学院の後輩でサークル<MAC>に所属しており主将を努めていました。その後、現在までMACとジークンドーとの交流は続いており、大会相談役を中村氏にお願いしております。 |
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1990年 | ||
9月 | 第9回正道会館全日本大会で渡辺代表はチャンピオン佐竹雅昭選手と対戦し健闘するがベスト16に終わる。これを機に、サークルから団体<空手道MAC>として活動して行く事とになり、極真会館(円心塾)時代からの渡辺代表の二段、石島副代表の初段に加え、新たに吉原悟初段、植野雅裕初段がMAC公認有段者となる。 |
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1991年 | ||
7月 | 飛馬道場主催「ノックアウトカラテ大会」のワンマッチ興行に参加、リング使用の2R、3Rマッチにおいて5勝2敗とする。 | |
10月 | 正道会館「’91KARATE WORLD CUP」に参加。渡辺代表、柳澤聡行選手(正道会館)と3回戦シードスペシャルマッチで対戦。 | |
11月 | 茨城支部が初の常設道場として吉原支部長によって開設される。 | |
〃 | 横浜文化体育館においての「第2回ノックアウトカラテ大会」で5勝1敗とする。 | |
12月 | 第7回国際交流空手道大会において小林達也が準優勝となる。 |
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1992年 | ||
8月 | 初の一般夏期合同合宿を茨城支部にて行う。当時は地獄合宿と言われる厳しいものでした。 その後、現在の交流合宿に変わって行く事になる。 | |
10月 | 駒澤大学同好会(学校公認)が丸子孝仁(現・奈良支部長)によって開設される。 |
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1993年 | ||
5月 | 茨城審査会にて戸部浩一が初段を允許される。 | |
7月 | 埼玉支部が川越の地に山口支部長により開設される。 | |
8月 | 茨城支部にて夏期合宿が行われる。 | |
9月 | 駒澤大学第二体育館においてMAC主催「第1回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント」が17流派、 85名の参加を得て開催される。 |
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1994年 | ||
4月 | 東京・三鷹支部が石島副代表によって開設される。 | |
5月 | 完成間近の本部道場審査会にて加川岳彦が初段を允許される。 | |
7月 | 横浜・港北ニュータウンの地に念願の本部道場を渡辺代表により開設される。 | |
8月 | 茨城支部にて夏期合宿が行われる。 | |
9月 | 第2回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント開催。 | |
11月 | 第10回白蓮会館全日本大会において小林達也が軽中量級第3位入賞となる。 |
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1995年 | ||
8月 | 茨城支部にて夏期合宿が行われる。 | |
9月 | 第3回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント開催。 |
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1996年 | ||
5月 | 本部審査会にて花田茂生、丸子孝仁が初段を允許される。 | |
8月 | 初のジュニアのみの「わんぱく合宿」を奥多摩・小菅村にて行う。 | |
〃 | 本部審査会にて小林達也が初段を允許される。 | |
〃 | 茨城支部にて夏期合宿が行われる。 | |
9月 | 第4回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント開催。 | |
10月 | 本部審査会にて片岡哲二、山口孝弘が初段を允許される。 | |
11月 | 第12回白蓮会館全日本大会において小林達也が軽中量級第3位入賞となる。 栗原啓二もベスト8入賞となる。 |
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1997年 | ||
3月 | 愛知・小牧支部(当時は同好会)が高瀬支部長により開設される。 | |
7月 | 奈良支部が桜井市の平等寺研修道場として丸子支部長により開設される。 | |
8月 | 茨城支部にて夏期合宿が行われる。 | |
〃 | 茨城審査会にて栗原啓二が初段を允許される。 | |
9月 | 第5回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント開催。 | |
11月 | 第13回白蓮会館全日本大会において小林達也が連続軽中量級第3位入賞となる。
準々決勝において後輩・小倉勇人を下す。 |
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1998年 | ||
8月 | 埼玉の秩父において合同の「わんぱく合宿」と一般夏期合宿を行う。 | |
9月 | 第6回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント開催。 この大会より初級3階級、中級3階級の6クラスの新人戦となる。 |
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1999年 | ||
3月 | 本部審査会にて仲西広文が初段を允許される。 | |
4月 | 千葉支部(当時は同好会)が市川の地に栗原支部長により開設される。 | |
〃 | 狭山同好会が、石島副代表・山口支部長によりスタートする。 | |
7月 | 一般夏期合宿が埼玉・秩父にて行われる。 | |
8月 | わんぱく合宿が奥多摩・小菅村にて行われる。 | |
9月 | 第1回ジャパンカップ・ジュニア空手道選手権大会を横浜市平沼記念体育館にて開催。
261名参加で初級・上級と学年において別ける試みは初めてであり、その後各大会において採用されていく。 |
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11月 | 第7回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント開催。 この大会より駒澤大学第二体育館から横浜市平沼記念体育館に場所を変更する。 |
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2000年 | ||
3月 | 本部審査会にて高瀬元勝が初段を允許される。 | |
4月 | 渡辺代表、都筑小学校・南山田小学校・山田小学校の公式クラブ活動(空手クラブ)の指導を行う。 各校、月に1〜2回程度。 | |
6月 | 茶帯講習会を茨城支部にて行う。 | |
8月 | 一般夏期&わんぱく合同合宿を奥多摩・小菅村にて行う。 | |
9月 | 第2回ジャパンカップ・ジュニア空手道選手権大会を川崎とどろきアリーナにて 370名が参加して盛大に開催される。 | |
11月 | 第8回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント開催。 | |
12月 | BS朝日「みんなゲンキ!」にて本部少年部が取材され稽古等が放送される。 |
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2001年 | ||
1月 | 本部にて選手合同スパーリング会を行う。 | |
3月 | TBSテレビ「筋肉精鋭」の3色筋肉というコーナーで埼玉支部所属の鶴田翔悟君がジュニアチャンピオンとなる。 | |
4月 | 第3回ジャパンカップ・ジュニア空手道選手権大会を 川崎とどろきアリーナにて420名が参加して盛大に開催される。
FM川崎にて生中継される。 |
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5月 | 初の上級者ウエイト制大会「第1回カラテチャレンジチャンピオンシップ2001」を川崎とどろきアリーナにて開催。 | |
8月 | 一般夏期&わんぱく合同合宿を奥多摩・小菅村にて行う。 | |
11月 | 第9回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント開催。 この大会より女子及びシニアクラスを設ける事になり初級・中級合わせて10クラスの新人戦となる。 |
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11月 | 本部審査会にて川尻昭人が初段を允許される。 | |
12月 | 埼玉審査会にて木村正国が初段を允許される。 |
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2002年 | ||
3月 | 第2回カラテチャレンジチャンピオンシップ2002を横浜市平沼記念体育館において開催する。 | |
4月 | 第4回ジャパンカップ・ジュニア空手道選手権大会を 川崎とどろきアリーナにて533名が参加して盛大に開催される。 | |
〃 | 狭山同好会が、常設道場として吸収合併し、狭山道場としてスタートする。 | |
8月 | わんぱく合宿を奥多摩・小菅村にて行う。 | |
10月 | 狭山審査会にて鈴木久、田中正明が初段を允許される。 | |
11月 | 第10回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメント開催。 | |
12月 | 本部審査会にて小林寛明、加藤大貴、龍隆雄が初段を允許される。 龍隆雄初段はジュニア出身(中学1年生)としてはMAC初の有段者となる。 |
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2003年 | ||
1月 | 支部長会議を熱海(1泊)で行う。 | |
2月 | 渡辺代表が指導する「都筑小学校」「南山田小学校」の空手クラブ発表会を朝の朝礼にて行い、好評をはくす。 | |
3月 | 本部審査会において、アフマドラフマニが外国人初の初段を允許される。 | |
4月 | 事務局直轄・江戸川道場(常設道場)が、栗原啓二責任者、片岡哲二指導員を中心に開設される。 | |
〃 | 第5回ジャパンカップ・ジュニア空手道選手権大会を川崎とどろきアリーナにて663名が参加して盛大に開催される。 | |
6月 | 士衛塾・木村師範、カラテスクール・佐野師範、西山道場・西山師範の協力により第1回の「ジュニアルール統一ミーティング」がMAC本部道場にて13団体の代表者が集まり行われた。約1ヵ月後に早くも実技審判講習会も行われた。 | |
7月 | 本部審査会のおいて、植野裕二が初段を允許される。 | |
〃 | 埼玉中央支部の分支部として「東武スポーツクラブ」内に「東武かわごえ道場」として開設される。 | |
8月 | 新潟において「わんぱく合宿」が行われ、過去最大の170名が参加して盛大に行われた。愛知にて「小牧支部」「奈良支部」合同合宿に本部少年部も参加して開催される。 | |
9月 | 本部直轄・宮前平道場(常設道場)が開設される。 | |
10月 | 審判講習会、ルール委員会の名称を「IKJO統一空手審判機構」に決定する。但し、今後の名称の変更はありえる。 | |
11月 | 第3回カラテチャレンジ・チャンピオンシップと第11回ルーキーチャレンジ・カラテトーナメントが武蔵工業大学・体育館にて同時開催され283名が参加して行われる。 | |
12月 | 本部審査会において、西袋幸司、中島一也、大野暉が初段を允許される。 |
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2004年 | ||
1月 | 本部にて黒帯稽古&全国支部長会議が1泊で行われる。 | |
3月 | 第6回ジャパンカップ・ジュニア空手道選手権大会が横浜国際プール・メインアリーナにて901名が参加して盛大に行われる。TV中継も好評となる。 | |
4月 | かねてから活動してきた「IKJO統一空手審判機構」も一気に全国展開する事となり、「JKJO全日本空手審判機構」として活動する事となる。大阪地区、中部地区、九州地区、北信越地区、東北地区、北海道地区と全国で100団体を超える参加となる。 | |
〃 | 愛知・小牧支部が高瀬支部長によって延べ床面積100坪の常設道場を開設し、道場開きを盛大に開く。尚、前道場は「篠岡道場」として石田一龍指導員が受け継ぐ事となった。 | |
7月 | 茨城支部にて少年部選手交流セミナーを行う。 | |
渡辺代表ら本部勢9名は福岡の勇真会を訪ね、交流稽古・審判講習会を行う。 | ||
8月 | 新潟において関東地区の「夏期合宿」が190名以上の参加を得て盛大に行われる。奈良においても奈良支部・小牧支部・埼玉西支部・三鷹支部が参加して行われる。 | |
〃 | 新木場・1stRINGにて開催の女子格闘技「LOVE INPACT」の女子フルコンタクト空手試合(小林由佳戦)を渡辺代表が裁く! | |
11月 | 本部審査会において、繁田利幸が初段を允許される。 | |
全日本強化指定選手を選抜し1〜2ヵ月おきに合同強化稽古をする事となる。第1回は埼玉中央支部にて開催される。指定選手には、植野雅裕(三鷹)、加川岳彦(本部)、植野裕二(茨城)、田中正明(埼玉中央)、小林寛明(茨城)、中島一也(本部)、西袋幸司(本部)、山路要(奈良)、石井康宏(埼玉中央)、吉浜恭介(本部)、井上聡(埼玉中央)、斉藤敏彦(埼玉中央)小川和朗(埼玉中央)の13名が選抜される。 | ||
12月 | 極真連合会・東京都極真空手道連盟、主催の第2回全日本階級別空手道選手権大会において、田中正明(埼玉中央支部)が軽量級初優勝となる。極真の冠の一般全日本クラスでは初の快挙となる。 | |
〃 | MAC初のポスターカレンダーが制作される。 |
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2005年 | ||
1月 | 茨城県筑波にて、支部長会議が行われる。渡辺代表・石島副代表の推薦により支部長・指導員の特別昇段が認められる。参段に吉原悟、弐段に植野雅裕、加川岳彦、山口孝弘、丸子孝仁、片岡哲二、栗原啓二、高瀬元勝が允許され、賞状・黒帯が渡される。同日、全日本強化指定選手の田中正明に対し「全日本優勝」の金一封と記念盾が渡される。 | |
3月 | 第7回ジャパンカップ・ジュニア空手道選手権大会が横浜国際プール・メインアリーナにて実に1058名が参加して盛大に行われる。ジュニア選手のみの大会では日本一といっても過言でない大規模な大会となった。レベル・進行・審判など好評を博す。 | |
4月 | MAC初の携帯メールマガジンがスタートした。これにより、各支部の情報がリアルタイムで会員に届くとういう、空手界では数少ない最先端システムの導入となる。 | |
〃 | 第7回ジャパンカップ大会の模様をMAC選手中心にDVD・ビデオ化となる。 |